|
源 義広(みなもと の よしひろ/紺戸 義広 こんど よしひろ、生年不詳 - 治承4年(1180年)?)源義時の四男。平安時代末期の武将。 源義家(八幡太郎義家)の六男の源義時の四男。石川源氏一族の紺戸氏の祖。 治承四年(1180年)に源頼朝が挙兵すると、それに呼応し、先祖の河内源氏の本拠地の河内国石川郡で挙兵したが、平清盛が派遣した飯富季貞、平盛澄の軍に宇治で戦い大敗。捕らわれたとも、討ち死にしたともいうが、詳細は不明。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源義広 (紺戸氏祖)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|